【日語小組/川路祥代】「だから、わたしのこれらのことはを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」この聖句はイエス様の山上説教の結論にあたります。神様の目から見た「賢さ」は「聖書に書かれている御言葉を実行すること、御言葉に生きること」にあることがわかります。それでは、御言葉を生きるとはどのような生き方なのでしょうか。ヤコブの手紙のヤコブはイエス様の実の弟です。彼は兄イエスとともに生きていた時には、あまりに近い存在だったので信じることができず、イエス様が天に帰られた後に大変強い信仰を持った人です。このヤコブの手紙は信仰に関する具体的な疑問に対する答えが書いてあります。そして1:21-25にはみ言葉を実行する具体的な方法は、「すべての汚れや悪を捨て去ること」、「御言葉をすなおに受け入れること」と書かれています。「御言葉をすなおに受け入れる」とは、私たちの今までの常識ややり方を捨てて、御言葉の通りに生きてみることです。これはヤコブの実体験から出た言葉です。全能の神を全く信じ切る時に、神様を第一にする時に、日々の生活の中に神様の祝福がある事を見させていただけるのです。神様のみ約束をしっかりと握りしめ、地道に神様とともに生きる時、その人の人生はどのような試練にもビクともしないものと変えていかれるのです。
「所以凡聽見我這話就去行的,好比一個聰明人。」這段經文是耶穌登山訓的結論,從此可知,上帝眼目中的「聰明」是「實行神的話語,活出神的話語」的意思。那麼,「活出神的話語」到底是什麼樣的生活方式呢?雅各書信的作者雅各是耶穌的親身弟弟,耶穌在世上的時候,因為太體近的關係,不能相信耶穌是神,但耶穌死裡復活、回天上之後,擁有強烈的信仰。書信中雅各一一回答信仰上的各種疑問,例如1章21-25節寫到實行神話語的方式說:「脫去一切的污穢,和盈餘的邪惡,存溫柔的心領受那所栽種的道。」這所謂「存溫柔的心領受」就是放棄以往的常識或做法,試圖依照神的話語來過日子,這是雅各親身體驗而發的言語。完全信靠全能的上帝,讓上帝擺在第一,每天的生活細節當中看得出來上帝的祝福,若有人緊緊抓住神的應許,踏踏實實與主同行,他的人生路程要是受到甚大的考驗,他的腳步也必定穩固。